福祉の現場で働いている人の本音「本当にしんどいのは・・・」
わたしは今、知的障害者施設で働いている。
ここでは福祉の現場に携わってきてどう思っているか、書いてみることにする。
介護士の資格は、今から6年前に取得。それからずっと福祉の現場で働いている。
最初は知的障害児施設。その次は放課後等児童デイ。現在は生活介護。
知的障害者施設の現場から。介護する側の本音とは・・・?
知的障害児施設は入所施設であり、女性班だった。
1班しかないため、下は未就学、上は年長児までいた。
また、障害も様々で、中軽度で全てにおいて自立している人から、全介助が必要な重度が一緒に生活をしている。
こう聞くと、自立している人より全介助の人を相手する方が大変そうだ、と思う人も多いかもしれない。
確かにそうだ。体力的には、かなりきつい。
50kgある寝たきりの人を、起こしたり、移動させたり、着替えさせるのは、かなりの体力が必要とされる。
便失禁なんかされたらたまらない。
背中までぐしゃぐしゃで、寝具にまで漏れていたら洗濯物の量はハンパではないし、シャワー室まで連れていき、職員3人がかりで対応しなければならない。
しかし、はっきり言ってシモの世話は慣れる。
だから、わたしはっきり言って重度は嫌いじゃない。
全介助より精神的につらい・・・軽度への介助を担って。
はっきり言って、重度よりも、軽度の方が大変で辛い。何故なのか?
彼等は言葉が話せてコミュニケーションが取れる。喜怒哀楽もはっきりしている。
ただ、年齢と知が伴っていない。そして、生育歴がかなり関係している。
知的障害は遺伝することがある。
親が障害を持っている場合、小さい時どのように育てられてきたのか。
親自身の知的能力が5歳であれば、幼稚園児が子供を育てているようなものである。
わたしが関わってきた子は、喜怒哀楽はしっかりとあるものの、表現の仕方がわからず、嫌なことがあったらすぐに手が出る子だった。
体重35kgしかない女の子を、職員5人で押さえつけなければならないほど暴れるのである。
職員はみんなアザを作っている。時にはハンガーラックを壊して振り回す。
死ね、消えろ、出て行け、ここを辞めろ。何度言われたことだろうか。精神的に参ってくる。
仕事と割り切っている、相手は障害を持っていると割り切っても、やはり心には辛い気持ちが蓄積されていく。わたしは耐えきれなくなり異動希望を出した。
知的障害者施設の介護には、社会の支援や、地域の理解が必要不可欠
もちろん、今書いたことは本当に一部である。
話せるから友達のように仲良くなれる、信頼関係を結べることもたくさんある。一生懸命重度の子の面倒を見てくれる子もいる。
今は、現場で働く年数も経ち、中堅の立場になった。当時とは考え方も変わった。今なら彼等にもう少しちゃんとした支援ができると思う。
彼等が地域で自立して過ごせるようになるために、様々な社会支援、コミュニティが必要になる。
そのために、現場で働いてついた知識を活かし、社会福祉士と精神保健福祉士の資格を取りたいと思う。
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