【入所の日】大好きな祖父、特別養護老人ホームへ。そのとき私と母は・・・
私の実家の祖父は93歳です。
8年前から認知症が始まり、パーキンソン病、うつ病を患い、自宅で私の母が介護していましたが、体力の限界を感じ、5年前から特別養護老人ホームに入所することになりました。
祖父の変わり様にショックを受けて・・・
自宅での介護は壮絶でした。
症状としては、時間の感覚がない祖父は、真夜中でも大声を出す。
少しでも留守にするとトイレで排泄後、素手でふく、その後あちこち触る。
朝夜、逆転するため食事の間隔がわからず、冷蔵庫をあさる。
鍵が開いている玄関から出て行き、近所の人に保護される。
うつ病のため、自殺願望で刃物を探し始める。祖母をなじる、そして暴力、暴言。
私も顔を殴られ暴言を吐かれ、おじいちゃんっ子だった私は、悲しみのどん底まで落ちました。
介護疲れで家族も疲弊して・・・
大好きなおじいちゃんが別人になったようでショックが大きすぎて、孫の私もうつ病寸前でした。
毎日夢の中にいる感覚で、まさか我が家にこんな日々が始まるとは思っていなかったので、目が覚めたら元に戻っていればいいのにと毎日毎日思いました。
それに加え、負けず嫌い、頑張りすぎ屋の母は介護は意地だという考えの持ち主だったので、ケアマネさんから声をかけてももらわなければ、介護疲れで母も倒れてしまっていたと思います。
祖父にあたることも出来ず、母も24時間365日休みもない為、暗くなっていく一方でした。
祖父は良くなることもなく、悪くなるだけで、排泄も介助なしでは難しくなりました。
出かかった便を手で出してやるなど、想像を絶する介護の日々を私は目の当たりにしていました。
祖父を施設へ。罪悪感と安堵感と・・・
母が倒れたら、私がやらなければいけない状態に自信がない私は、定期的に来てくれるケアマネさんに不安を話しました。
このまま行くと、共倒れしてしまうから、もう施設にお任せしましょうと言われて、安堵で涙が止まりませんでした。
同時に、面倒見られなくてゴメンという気持ちで祖父に何度も何度も謝りました。
引っ越しする日、何もわかっていない祖父はニコニコ笑っていました。
安心したはずなのに、母と私は涙が止まりませんでした。
現在、特老に入所している祖父はスタッフさんに可愛がられて、とても居心地が良さそうです。
家でイライラした私達に面倒見てもらうより、いつもニコニコの介護士さんや看護師さんに毎日元気をもらっている祖父は幸せなのかもしれません。
自分の家のことは覚えているのかな?家族のことを少しでも覚えててくれてるかな?と心配になる事もありますが、まだ祖父は元気なのでたくさん会いに行こうと思っています。
スポンサードリンク
こちらの記事も一緒に読まれています
関連記事
-
【朗報】介護福祉士の働き方の実態は?意外に選択肢は多い?
私は18の時に介護福祉士を取得しました。 福祉系の高校に通っていたので、介護福祉士を目指して勉強を
-
【脊髄小脳変性症】しっかり者だった祖母の変わり果てた姿を目の当たりにして感じたこと
しっかり者のおばあちゃんの介護の経験があります。 元気な頃は、何でもかんでも世話焼きのおばあちゃん
-
【余命一ヶ月】肝硬変からの肝臓がん!夫の在宅介護をした私が感じたこと
私は肝硬変から肝臓ガンになり、そのガンが肝臓を破り、もう病院では何も出来ないと言われた夫の在宅介護を
-
【緊急入院】2歳の愛娘を襲った川崎病の症状と治療の体験談
今から2年前、当時2歳半の娘が川崎病を発症し入院しました。 川崎病は、原因不明の病で主に0歳か
-
【介護の闇】祖母を孫の私が介護している素直な感想
祖母(86歳)の介護を孫である私がしています。 デイサービスとショートステイを利用しています。
-
【涙腺崩壊】大学受験を控えた高校生が祖父の介護をしていた話
30年前、高校生の時に祖母と母と一緒に祖父の介護をしました。 私が高校3年の春、一駅向こうに住
-
【指定難病】シェーグレン症候群の発症と治療についての体験談
目や口の異常ともいえる乾燥が気になり初めたのは、1年4か月ほど前のことです。 数年前から起床時の目
-
足首の捻挫で腫れが引かない!3日後に試合を控えた私がとった行動は・・・
私は今大学4年生の女性です。 高校2年生の時、体育の授業でハードルを行っていたのですが着地を誤り右
-
【出会いと別れ】私がなぜ認知症介護の仕事を続けているのか?
介護職に着いて6年経ちます。 資格取得は学校の制度もあり卒業と同時に取得しました。 登録料がかか
-
父の脳梗塞からの介護生活は短かったけれど忘れられません
私は、2009年の春から夏にかけての三ヶ月間、父親を介護しました。 父は当時68歳で、10年以上う