「私は赤ちゃんじゃない」認知症の義母と一緒に暮らす苦労
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最終更新日:2017/05/10
介護・医療
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私は88歳で認知症の義母と5年一緒に暮らしています。
他の家族は夫と私だけです。夫は離婚してから10年以上独身でしたので、義母は夫の弟夫婦と同居していたのですが、夫が私と再婚してからは私たちと同居することになりました。
その時には認知症ということがまだ分かっていなくて「年をとってから、かたくなな性格で怒りっぽくなった」という義弟の説明をもとにお世話を始めました。
アルツハイマー型認知症と診断されるまで
しかしそれが認知症の初期の症状だったのでした。
一緒に暮らし始めて一か月ほどした頃に、毎日同じ料理を食べたいと言うことが増えました。
「きのう食べましたよ?」と言っても「そう?いいよ、好きだから」という返事。かと思えば「いらない」と言って食べなかったりします。
それから朝と夜が逆転して、真夜中に急に帰ると言いだして『長い間お世話になりました、今から帰りますので失礼します』と外出着に着替えて丁寧にあいさつをしてタクシーを呼んでくれと言いだしたり、夜中に「ご飯はまだ?」と寝ているのを起こしに来たりするようになりました。
食事がすんで、少し席を外している間に食器を片づけるといって夫の目の前で食器を洗わずに食器棚に入れたことがあり夫を唖然とさせました。
ぜったい普通じゃない、と思って翌朝病院に連れていったところ、アルツハイマー型認知症という診断でした。
夫は驚いてしまい、自分の母が認知症ということに納得がいかず、その日から「しっかりしろよっ」と義母を怒鳴ってしまうことが増えました。
デイサービスに通ってみたけれど・・・
認知症の診断を受けた病院は大きな病院でデイサービスを受けることができました。
週に二回、デイサービスに行くことに決めて義母と一緒に行った一回目は忘れられません。
その当時、義母は他人には認知症には見えないくらいしっかりしており、本人は「私、ボケてるよ」と笑って言いながらも自分が病気だとは分かっていませんでした。
自分で着替えることもできて、時々ボタンを掛け間違ったりする程度でしたので、デイサービスに行って、介護士の方に話しかけられた段階で怒りだしました。
「私は赤ちゃんじゃない」とプンプン。
難しいもので、赤ちゃん言葉を使ってらっしゃるわけではなく優しく話しかけてくれているのに、義母のプライドが傷ついたのでした。
そして、デイサービスを利用している方々が音楽に合わせて軽い運動をしているのを見て「こんな幼稚園みたいなところに連れて来て」と怒って杖でバシバシ私を叩くので、介護士さんが慌てて数名でなだめてくださいました。
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とりあえず、その日はそのまま帰宅して義弟夫婦に話をしたところ、骨粗しょう症があるのにそんなところに行って骨折したらいけないからやめてくれ、と怒られてしまい、結局デイサービスには通わないことになりました。
祖母と二人の生活へ。コミュニケーションのきっかけは?
認知症と骨粗しょう症以外に悪い箇所はなく、杖も転ばぬように持っている程度で外出するのが好きな義母ですが、同居して日も浅く義母の好みもよくわからない私との外出はあまり面白くないらしく、スーパーに行ってもドライブに行ってもポツリポツリしか会話が成り立たず、すぐに「もう帰る」ということが増えていきました。
もうどうしたらいいのかわからずに、しかし、日中二人しかいないのに、義母を自室に一人でおいておくわけにはいかず、一緒にテレビを見ることしかできせんでした。
すると、義母が韓流ドラマが好きだということがわかり、今までが嘘のようにいろいろ話してくれるようになりました。
とても認知症には思えないしっかりした話しぶりで今まで見てきた韓流ドラマの話や、自分が幼かった頃の話をしてくれます。
唯一「やっぱり認知症なんだな」と感じるのは、同じ話を何度も何度もすることでした。
小さい頃から結婚する頃までの話を繰り返し繰り返し。私はすっかり覚えてしまいました。
でも、杖でぶたれたり、帰るっと不機嫌な顔をされるよりは機嫌よく喋っている義母を見ている方が私も嬉しいので、笑顔で聞いてあげることができます。
介護認定の申請は、タイミングも考えて
そうしているうちに、だんだん症状が進み、トイレの介助も必要となってきて食事を手づかみにしたり、急に暴れたりするようになり、介護認定を受けて要介護2と認定されました。
現在は、訪問介護をお願いして週に二回身体介護を受けています。
しかし、はっきり喋ったりすることもあって時々は楽しい時間を持つこともあります。
夫もようやく認知症が進んでいることを認めて優しく接することができるようになりました。
要介護の度合い、というのは認知症が進んでいても身体的に元気で介護する側の肉体的負担が軽ければ要介護ではなく要支援になったりするとのことで、認定をしに現状を見に来る人の考え方感じ方にもよりますから、よく考えてタイミングをみてから認定の申請を出されることが大事だと思います。
介護の度合いによって細かく費用設定されていますので、パンフレットなどを熟読しておくと役に立ちますよ。
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