【18歳】子宮頸癌で2度の円錐切除をした体験談と今だから言えること
最初に子宮頚ガンに気づいたのは、18歳のときでした。
年齢的に若いのと、いつからなっていたかもわからないですし、ちょっと病状が進んでいたようでした。
ステージ的には、Ⅲのbでした。ここまで来ると、異形成ではなくガンなので早めに対応した方がいいと言われて、すぐに手術することになりました。
早期なら子宮も残せる!円錐切除術に踏み切って
幸い、進行はしてても転移していたりもなく、奥の方にも進出していなかったとのことで、円錐切除術と言う方法で治療できると言われました。
この方法なら、子宮はそのままキレイに残すこともできますし、子宮頸部もまだ若いから再生してくるとのことで…将来子どもを授かることも、産むこともできると言われたのでホッとしました。
一週間後、手術をすることにしました。
2泊3日で、1日目は体を休めたりちょっとした検査。
2日目の午前中に手術をして、3日目に消毒や内診をして退院しました。
手術後に起こった癒着・・・つらい治療を繰り返し、念願の子宝が!
それから、少しの間生理中に激痛~鈍痛があり、出血も以前程はなくおかしいかな?と感じたのでまた病院に行きました。
今度は病気ではなく、手術で結合したり焼いたりした部分が癒着していて生理の血が出て来る穴も塞がり気味になっていたようでした。
子宮の入口に金具を入れて、血を抜く作業がものすごく痛くて我慢するのにとても大変でした。
それから、3か月に1回、半年に1回、1年に1回と検診を繰り返しやっと完治しました。
それからは、子宝にも恵まれ今は6児の母です。
16年後、再び子宮頚がんの検査を行って・・・
円錐切除術から16年経った去年。
また、子宮頚がんの検査で陽性が出ました。
子宮頸部の怪しい場所に酢酸を塗り、変色したところを切り取って検査をしてみたら、高位異形成だと診断されガンではないけど、このままにしておくとガン細胞に変わってしまう恐れがあるので検査も兼ねて円錐切除術をしましょうとのことでした。
私は2度目なのでなれてるってわけでもないですが平気でしたが、母はとても心配していました。
子どもも置いての2泊の入院はとても辛かったです。
でも、ここでしないともっと悪化して取り返しがつかなくなってしまうことを思えばと、耐えました。
2度目の手術を経て、今強く思うこと
手術は無事に終わりました。
が、今度は2度目の円錐切除術なので頸部が少し人より短めになるから妊娠しずらくなる可能性があると言われました。
もう、30代で子どもも6人もいればいいと思っていたので笑いながら聞くことができました。10代の頃に言われていたら、また違った捉え方だったかもしれません。
それから1年、今のところ再発もなく検診も半年に1回になりました。
病気は完治させるのはもちろんですが、そのためには根気強く通いながら治療して行くことが大切だと学びました。
すぐ完治するわけではないので、気長に通い続けることが何より大切です。
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