【涙】統合失調症とうつの私に医師が言った一言がヤバイ
公開日:
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最終更新日:2017/06/26
介護・医療
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私の場合、うつ病から始まり、今は統合失調症の治療中なのですが…はじめは突然、夜眠れず朝も起きられず、学校に行けなくなりました。
気分も落ち込んで、ご飯を食べたり、日常生活の当たり前のことすらできなくなり、今まで、好きだったことにも興味がもてなくなり、死にたいと毎日思う日々でした。
なぜ苦しいのか?医師の言葉と診断に救われて・・・
うつ病だということに気づかず、自分に合った病院とも出会えず、発見が遅れ、「何で当たり前のことができないんだろう?」と、とても苦しんだし、発見した時には、うつ病が悪化してしまっていました。
うつ病が発見されるまでの数年間は、病院にも行かず、「朝起きて、普通に仕事をしていなきゃ」と思い、無理矢理何とか日常生活を送っていました。
しかし「何で何をしても楽しいと思えないのだろう?何で24時間365日こんな暗い気持ちなのだろう?」と思っていました。
ある日のこと、タウン誌に載っていた病院の紹介文を読んだら、自分の悩みや、苦しんでいることが書いてあったのです。
すぐに病院に電話をし、予約を取り、心理検査などをし、診察をしてもらいました。
そこで、お医者さんに言われたのは「生きててくれて良かったよ。かなり酷い状態だから、本当に生きていてくれてありがとう。」と言われ、涙が出ました。
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理解されにくいことでさらに悪化。うつ病の悪循環
悪化していたので、気分が沈んだ状態、死にたいというのが何年も続いていたり、電車やバスにも乗れず、家に引きこもりがちになり、人さえも怖くて仕方ありませんでした。
拒食と過食を繰り返し、今まで好きだったこともできなくなったり、やらなければいけないことも、やらないのではなく、できなくなってしまい、体重の増減も激しく、体力的にもとても辛かったです。
当時、「うつ病は心の風邪、気の持ち方」などと、まだまだ言われていたので、家族からも理解されず、孤独や劣等感でいっぱいでした。
服用量はしっかり守ろう!何よりも周りの支えが特効薬
薬も、きちんと飲まないと悪化したり、再発する可能性が高いと言われているのですが、家族の目が気になり、お医者さんに聞かずに勝手に断薬してしまい、余計に悪化してしまいました。
経験から、少し良くなっても、きちんとお薬を飲むのはとても大切なことだと思います。
何よりも必要で大切なのは、身近な人の理解や支えだと思います。
「普通にしていなきゃ」ではなく、疲れたら横になったり、自分らしく、ありのままの自分でいることも大切だと思います。
現在、統合失調症の治療で持続性注射をし、お薬を飲む量が減ったり、デイケアという治療に通いコミュニケーションの練習をしたり、良くなったり、悪くなったり波がありますが、少しずつ良くなってきています。
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