【徘徊】突然、認知症になった80代祖父の介護が大変すぎて・・・
80代だったうちの祖父はある日突然に、認知症を発症しました。
原因は転倒でした。
2月でしたが、ある日の朝、朝食に出てこない祖父を部屋に呼びに行くと、寒い部屋で暖房もつけず、シャツ1枚でうずくまっていました。
部屋の中に仏壇があったのですが、線香の灰は床に撒かれているし、床の間に飾ってあった置物が部屋の中央に横になっていたりともう訳のわからない状態で、祖父に声をかけても返事もなく、とにかく様子が変なので父がそのまま病院に連れて行き、入院となりました。
入院の理由は骨折でしたが、寒い中長時間うずくまっていたためか祖父は認知症を発症していたので、この入院時に介護保険申請の手続きを行いました。
「私」だけを忘れてしまった祖父・・・
病院にいる間、私は祖父のお見舞いに行けず、退院の日に久々に顔を合わせると、私のことを祖父は忘れていました。
自分の娘や息子のことを覚えているし、私の妹のことも覚えているのに、私だけ祖父の中に存在がありませんでした。
それがとても辛く、何日も何日も祖父に自分の存在を思い出してもらおうと、泣きながら自分の名前を言い続けていましたが結局亡くなるまで、私の名前を呼んでもらえる事はありませんでした。
ショートステイとデイサービスを併用して
退院してからの祖父は、本当に大変でした。
認知症がひどいのに、体が本当に元気なので徘徊をして夜中にパトカーで送られてきたり、自分で買い物に行って、転んで血まみれなのを近所の人が連れてきてくれたり。
鍵を工夫していても、そこだけ頭が冴えるのか気づかないうちに外に行ってしまう事が多々ありました。
徘徊がひどいので、家族が交代で寝ずの見守りをしているとケアマネに相談したら、すぐに特養に申し込みをし、ショートステイの手続きも行ってくれました。
しかし、なかなか特養の順番が回ってこず、2年間ショートステイとデイサービスの併用で過ごしました。
施設入所前の頃には今まで自分で出来ていた入浴も介助が必要になり、トイレの水を流したら拝んだり手ですくったり、爪切りを探すと言って冷蔵庫の中のものを全て外に出したりと、こちらがストレスでおかしくなりそうな行動ばかりで、今思えばきつい言葉を祖父に投げつけていたと思います。
施設への入所で感じた、寂しさと解放感
それから施設に入所し、祖父の部屋に祖父がいない寂しさが襲ってきましたが、やっと開放された…という想いの方が強くありました。
施設に入所してからは、お正月とお盆の時期だけ帰宅して家族で一緒に過ごしていましたが、3年経った時に胃がんが判明し、施設を退所して病院に入院しました。
しかし認知症が激しい祖父は、点滴を抜いたり暴れたりするので病院から強制退院させられそうになり、24時間家族の付き添いが条件で入院を継続してもらいました。
胃がん発覚から1年ちょっとが経ち、祖父は88歳で生涯に幕を下ろしました。
認知症になってから約6年、今ではいい思い出になっていますが、当時は本当に大変でした。
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