【バレーボールでの事故】網膜剥離で硝子体手術を受けました。
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最終更新日:2017/06/20
介護・医療
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大学のサークルでバレーボールをやっているときに網膜剥離になりました。
男子生徒が打ったスパイクをブロックしたところ、ネット越しに右目に直撃しました。
ソフトコンタクトレンズは真っ二つに割れ、目の前が真っ暗になりました。
友達の車で病院へ向かったのですが、夜間で専門医がおらず、翌日に眼科を受診することになりました。
そのときにはカメラのフラッシュを見た後のように、目の中に光が残っていました。
検査ではじめて明らかになった網膜剥離
翌日、なんとなく見えるようにはなりましたが、光のようなものは残っていました。
もともとかなり眼が悪かったので、それ以外の変化はよくわかりませんでした。
その状態で眼科を受診したところ、眼底検査をしました。
OCT(工学的干渉断層計)で写真を撮ったと思います。
結果、網膜剥離ではあるけれど、「紅斑円孔」と診断されました。
物を見るための中心である黄斑部に穴が空いていたのでした。
硝子体手術とは?手術と入院の体験談
手術は確定で、その後、かかりつけの眼科医とどこで手術をするか相談しました。
地元の大学病院だと1ヶ月ほど入院すること、近県の入院病棟付の眼科だと入院期間が2週間であとの2週間は自宅で安静にすればいいことを聞きました。
大学4年のときだったので、卒論などもあったため、後者のほうを選びました。
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硝子体手術を受け、眼球の中に気体(ガス)を注入しました。
部分麻酔だったので医師が「まっすぐ見て」など声かけをするのがわかりました。
術後はぐったりして車椅子で移動したと思います。
術後はずっとうつ伏せの状態で過ごしました。
寝ているときはもちろんのこと、歩くときも食事のときもずっと下を向いていました。
寝ているときは寝返りを打たないように、両親が交代で見張ってくれていました。
この生活を約2週間続けましたが、かなりきつかったです。
退院から回復まで。回復後も定期的な視野検査が必要
退院後はかかりつけ医に定期的に通っており、抗菌剤の点眼薬を使用していました。
退院したときはまだガスが残っていたので右目だけで見ると視界に水平線みたいなのが見えていました。それが徐々に減っていきました。
眼球内の血の塊と表面の充血は1ヶ月ほどで徐々に消えていきました。
コンタクトレンズをはめられなかったので、しばらくは右目に眼帯をして歩いていました。
目の状態が治まってからも視界の中心が歪んでおり、はっきり見えると頭痛がするようになったので、左目の視力も少し落として矯正しています。
視力の回復については、中心が見えにくいので正確な視力は測れませんが、ずらして見ての検査だと術前の視力と同じくらいになっています。
受傷から10年以上経っていますが、通常は半年、調子が悪い時は3か月ごとに視野検査などを受けています。
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