【余命一ヶ月】肝硬変からの肝臓がん!夫の在宅介護をした私が感じたこと
私は肝硬変から肝臓ガンになり、そのガンが肝臓を破り、もう病院では何も出来ないと言われた夫の在宅介護をしていました。
肝臓が破れた為、腹水を抜くと真っ赤な血が出てしまう程でしたが、夫は元気でご飯も良く食べていたので、病院を退院する時に余命1ヶ月と言われても信じられませんでした。
在宅医療を勧められて・・・
退院した後も一週間毎に腹水を抜いたり、点滴をして先生と話していて、在宅医療を勧められたのです。
在宅医療でも同じ事が出来るので、病院までの往復や待ち時間が無くなるのは有り難かったです。
余命と言われた1ヶ月頃までは、一緒に買い物に出掛けたり、今までやった事がないのに、カレーを作ってみたいと言うので一緒に台所に立ったり、DVDを借りて見てました。
夫婦でやっている在宅医療の先生も、症状からじゃ考えられないほど元気ですと言われた位です。
突然襲ってきた悪化の日
そんな中、初めて夫が私に助けてと声をかけたのです。
私は夫を寝かしつけてからシャワーを浴びるのですが、微かに夫の呼ぶ声が聞こえたので起こしちゃったのかなと、慌てて寝室に行きました。
夫がベッドから落ちていたのです。
驚いて理由を聞いたら、トイレに行きたくなったのに身体が動かない事と、ベッドを汚したらいけないと、無理やり落ちたと泣きながら答えました。
そこから夫の身体は急激に悪くなっていきました。
在宅医療を続けて、愛する夫と共に
身体は動かないので、私がトイレやお風呂に連れて行くのですが、間に合わなくて失敗する事も増えましたが、週3で来てくれる在宅医療の先生の前では元気に振る舞っています。
そこで先生が毎日来るので、夫にオムツを勧めるように言われました。
夫は、私が大変ならオムツにしても良いけどと言いましたが、私はトイレに連れて行くのも、粗相の掃除も大変じゃないけど、失敗させてしまった夫の顔が悲しくなるのが嫌なので、じゃあ2人でオムツを履こうと提案しました。
介護で疲れてるのにそんな冗談言ってくれるんだと笑ってくれたので、実際履いてみせたら抵抗なく夫も履いてくれました。
もちろん、トイレと言われたら連れて行きます。
食欲も落ちて、お粥が食べたいとお粥ばかり食べるようになり、痛みで夜に眠れず、DVDを観ながら昼間うたた寝する事も増え、モルヒネが処方されました。
仰向けだと腰が痛み、うつ伏せだとお腹が痛いと言うので、私の身体半分に夫の肩から半分を乗せて寝ていました。
そのうち、痛みを訴える事もなくなり、お粥の上澄みを口に入れ、スポンジの歯ブラシで歯を磨き、温かいタオルで身体を拭いたり洗髪していました。
慣れない介護に夫も大変だったと思います。
でも、愚痴一つ言わず任せてくれた夫が今でも大好きです。
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